21世紀を見据えた教育(4)

-個性復興-
 


 日本人であることを忘れた日本人は、同時に自分の個性も捨ててしまいました。そんなことはない、今の若者は個性的だと言う人がいるかもしれません。ピアスをつけ色とりどりに髪の毛を染めていることが個性的なのでしょうか。ルーズソックスや底の厚いサンダルが個性的なのでしょうか。スカートを拡げて床に座ることが個性的なのでしょうか。下着の様な服がそうなのでしょうか。ズボンを下げてパンツを半分見せることが個性的なのでしょうか。
 そうした外見でしか自分を表現できないことが既に個性喪失現象なのです。個性をなくしてしまったから、そんなことでしか自己主張ができないのです。「私は個性を育てませんでした」という告白があの姿なのです。東京都立高校卒業者の5人に1人が無業者の道を選びました。何故かと言えば、「やりたいことがない」からだそうです。18歳になっても自分が全く分からないと言うのです。これを個性喪失と言わずに何を個性と言うのでしょうか。
 戦後一貫して個性尊重が教育の柱として主張されていました。しかし残念ながら結果は別のものになったのです。そこで問題とされたのは髪の毛の長さであったり制服であったり、校則であったり、すべて、外見だけのものが問題とされたのです。そうして外見を追っている間に、本質が見失われてしまったのです。
 個性とは、その人だけが持つ力です。その人だけに与えられた力です。人間は教育しなければその力を発揮できないものなのです。個性は生まれたときから「可能性として内在」しています。しかしあくまで可能性なのです。教育することで育っていくのです。教育とは単に授業で知識を伝えるものではありません。教育とは個性を育てるものなのです。その人にしかない個性を見い出すのが教育者の仕事なのです。その個性が発露するチャンスを与えてやるのが教育者の務めなのです。
 教育とはそうした仕事です。誰にでもできる仕事ではないのです。だから教育を専門とする人間を育てることは、単に教育に関する単位を取れば良いとの現代の教職の考え方では無理なのです。戦前の教員養成は師範学校が受け持ちました。全て全寮制の学校でした。何故全寮制だったのでしょうか。一つには地方の優秀な生徒で、向学心はあるが家庭が貧しく、旧制中学に進めない者を集めるとの目的があったでしょう。しかしそれだけではないのです。寮生活を通じて、人間を見る力を養ったのです。人間を育てる力を寮生活の中で育てたのです。
 話が横道にそれましたが、「皆で渡れば怖くない」と言っている日本人では21世紀に通用しません。「組織ぐるみ」でしか何もできない日本人では、21世紀の国際競争社会では通用しないのです。一人では「ガツン」と言えない日本人ではだめなのです。自分を知り、自分に自信を持って生きられる個性の人を育てる必要があるのです。
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