
競争、これこそ排斥すべきものとの考え方が教育界では当たり前のものとなって随分時間が経ちました。しかし、今、教育者が聞けば驚く言葉が動きはじめたのです。「競争的環境の中で個性が輝く」との言葉です。ご存じの通り、この言葉は平成10年10月に大学審議会が「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の答申の副題として使った言葉なのです。
競争的環境こそが諸悪の根源として、徹底的に否定してきた文部省が、高等教育に関しては、これこそが改革のメインテーマであるとして、打ち出してきたのです。一方では、同時期に出された小中高校の教育課程の改定では、ゆとりをメインテーマに、相変わらず、競争排除の論理が貫徹されています。

例えば、21世紀初頭の大学像の前文には、「卒業時における質の確保のための取組の抜本的充実」が叫ばれています。この発想と2002年の改定とは共通項があるのでしょうか。小中高校では指導内容を精選しましょうとて、小中学校の数学や理科では大幅な教育内容の削除が行われました。これが、「高等教育に対する質の高度化への要請」に応えるための基礎となる初等・中等教育で実施されたとして、本当に大学が応えることができるのでしょうか。これこそ矛盾と言わずして何なのでしょうか。
もし、これが矛盾せずに実現できるものであると考えるならば、それは結局は二極化した教育システムを樹立させる以外には実現しないのではないでしょうか。例えば、そのモデルの一つとしてイギリスの教育システムがあります。ご承知のとおりイギリスでは、公立のプライマリー・スクールからスタートして同じく公立のコンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)に進む道と、私立のプレ・プレパラトリー・スクールから私立のプレパラトリー・スクールへ、そしてパブリック・スクールへと進む道があります。それぞれ修業年数が異なりますので、一度公立の道を進んだ者は、私立には変われません。勿論、ケンブリッジやオックスフォードの入学者の多くが、公立の1割程度の卒業生であるパブリック・スクールに集中していることは言うまでもないのです。

高等教育に於いて今以上の高い質を求めるのであれば、それを確かにする為の高い質の教育が初等・中等課程に求められるのは当たり前のことです。何故、それが示されないのでしょうか。逆に言えば、そのことに触れずしても、高等教育の質の向上が不可避なものとして求められるようになって来たことを示しているのでしょう。そうなのです。時代は教育に変革を求めているのです。21世紀に日本が生き残る為には、現在の教育を続けていくことが許されない時がやってきたのです。それを示しているのが、大学審議会の答申ですし、その核心である、「競争的環境の中で個性が育つ」ことを、今真剣に検証すべき時がきたのではないでしょうか。